LUCAS MUSEUM|山本容子美術館 

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TITLE:【Others】読売新聞 夕刊 「たしなみ」挿画

March 31.2021

2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。

2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。


©Yoko Yamamoto

読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2021年3月31日のテーマは「お墓参りのマナー」星野博美さんです。

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TITLE:【Gallery】Let's go to my gallery 〜はなうた巡礼〜

March 25.2021



『揺籠(ゆりかご)のうた』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
北原白秋が書いた詞には、「カナリヤが歌うよ」に始まって、「枇杷(びわ)の実が揺れるよ」「木ねずみ(リスのこと)が揺するよ」、そして「黄色い月がかかるよ」と、一貫して黄色(※左)の情景が綴られている。だからこの歌を歌っていると、私の中にも黄色のもつやさしいイメージが広がってゆく。自然に画面にもさまざまな黄色があふれることになった。音符は枇杷の実である。揺籠に横たわった子どもは、黄色い色に守られて、あるいは照らされて、ゆらゆら揺すられながら、寝たり、起きたり(※右)。その姿の移り変わりから、時間の経過も表現してみた。

   


1952年8月15日と日付のある白黒写真。 浴衣姿の祖父が紐を持って畳に座っている。
紐の先には竹で作られた揺籠があり、生後4ヶ月の私が寝ている。
祖父は揺籠を揺らしながら私をあやしてくれていたとか。
写真の下には母のメモ。

おじいちゃま、容子のお守り。
(お船はぎっちらこ ギッチギッチこげば えべすか だいこくか こちゃ 福の神)
と歌っています。

えべすは恵比寿様。だいこくは大黒様。 七福神に囲まれて眠る私が福の神だなんて。
ありがたい子守歌を聴いて育ったのでした。
この子守歌のメロディーは思い出せないので、母に写真を見ながら歌ってもらったことがあった。
ギッチギッチのところが木製の船と櫓の擦れ合う音を表現している。
宝船にも時代を感じてほっこりする。



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TITLE:【Gallery】Let's go to my gallery 〜はなうた巡礼〜

March 18.2021



『雨降りお月』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
ルーカスの表情がたまらない。何と悲しげなのだろう。まず月を見上げる。次に、花嫁さんに「行ってくるね」と言われてうなだれ、それでもとぼとぼ後ろをついていく。花嫁さんを追って雨が降りしきる戸外へ出たものの、置いてきぼりにされて、遠くなっているルーカス。しかし、黙ってはいなかった。走るのだ。それも全速力で。画面の右端から左端へと移動したルーカスは、「でもやっぱり追いかける!」とばかりに、最後は、シャラシャラシャンシャンと鈴の音を響かせながらひとりで馬に乗って嫁いでゆく花嫁さんを追ってゆくのだった。



空を見上げていた祖母が、明日は雨降りやね。と言った。空には丸い月がでていた。
が、すっきり、くっきりした月ではなくて、ボンヤリボヤけて浮かんでいた。
翌日は雨降りとなり、空を見て天気予報をする祖母がすごいと思った。
月の満ち欠けは美しい。それだけではない不思議な力に驚いたのだった。小学2年生の春休みのことだった。

去年の暮れ、空一面が白いフワフワの雲で一杯になったので、妹に写メールをしたら、
羊雲やね。雪降るよ。という返信。
祖母は妹にも空の不思議を教えていたと確信した。



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March 11.2021



『かわいい魚屋さん』2000年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
♪かわいいかわいいさかなやさん という出だしの音符の連なり方を見ただけで、テンポの速い、軽快な歌だというのがわかる。天秤棒を担いだ魚屋さんの坊や(※左)の歩幅で、その弾んだ感じを表してみた。ままごと遊びをしている少女のひとりは、「うれしいひな祭り」でも描いた昔の人形をずっとおんぶしている。下の「お家」に寄った魚屋さんは、右手に大鯛、左手に小鯛を持ち、下ろした桶には赤い蛸と青い鯖(※右)。♪おおだいこだいにたこにさば なのである。幼い頃から、祖父の寿司店のある大阪の黒門市場近くで育った私にとって、魚は身近な存在だった。

     


子供の頃は親戚の集まりが多かった。だから、従兄たちともよく顔を合わせていた。
その中のひとり三つ年上のヤスタカちゃんは祖父の創業した鮨屋で修行をし、銀座一丁目で、のれん分けした鮨屋を継いだ。
三十代で関西から東京に出ていった私はヤッチャンのお店のカウンターの隅でひとり酒をするのが好きだった。子供時代の共有のおかげで昔話しや親戚の様子を話題に出来た。その時ヤッチャンは必ずだまって「鮪の赤身の漬けの海苔巻き」と「酢〆めの鯵の紫蘇巻き」を出してくれた。私の好物を知っていた。

ある時、なぜ私は鮪の赤身が好きなのかを母に聞いたことがある。少し鉄の香りのする赤身をトロの部位より好きなのが不思議に思える年代になった時のこと。
すると母は「それはそうでしょう。あなたの離乳食は鮪の赤身、小さく柵切りした赤身をチュウチュウと吸っていたのよ」
祖父が与えた鮪の赤身と祖母が酢〆めした鯵が好物になったという種明かしは、大家族の嬉しい証拠なのです。



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TITLE:【Others】読売新聞 夕刊 「たしなみ」挿画

March 10.2021

2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。

2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。


©Yoko Yamamoto

読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2021年3月10日のテーマは「美に触れ、祈るマナー」恩田侑布子さんです。

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March 04.2021



『うれしいひな祭り』1998年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
祖父に買ってもらった人形(※左)を、私は恐る恐る何体も〈解剖〉したことがある。バービー人形が出現する前は、人形といえば中に硬い藁や木屑のようなものが詰まった布製で、帽子を剥がした頭部にはくっきりと縫い目があったのを憶えている。そうやって壊しても祖父はまた新しいのを買ってくれたが、新しい人形を友だちが抱こうものならバトルは必至で、ひな祭りの記念写真でも私の髪はくしゃくしゃ(※右)だった。この絵では赤がポイント。緋毛氈(ひもうせん)の色を全体に塗ってしまうと歌の楽しさが出ないため、同じ色を三人官女の袴と五人囃子の影とに使い分けている。

   


大きな木箱から祖母と母がそーっと人形達をとり出して冠をかぶせたり髪飾りをつけてゆく。そして道具を持たせてひな人形は完成。大きくなったら自分で飾る日がくるからね。ちゃんと座って見ておきなさい。今は覚えられないから触ってはいけません。と、言われていた。
おひなさまのお道具はとっても繊細で子供の指で触れてもこわれそうに華奢だった。そこが魅力的で、お行儀よくままごと遊びに使っていても、お小言を言われた。

そのうち手伝いが出来るようになると、五人囃子の指のカタチに合わせて笛や太鼓のバチを差し込むと正解を与えられたようで安堵した。三人官女の黄銅色の金属で作られた柄杓を掌に置く時は緊張し、おひなさまの両手に扇を持たせると五色の飾り紐を整えてうっとりしたものだった。お内裏さまの手にする長い棒が笏という道具だと知ったのはもっと後になってからだったが、刀、弓、矢を人形に持たせると生き生きしてくるように思えた。

さて、おひなさまを木箱にしまう日、お人形の顔には「また来年ね」と言いながら細長く薄い紙を巻いてゆくのだが、目隠しをするようでとても悲しかった。ひな人形は妹が虫干ししてくれるようになり、平成三年三月三日が父の命日となってからはひな祭りは桃の節句となり、サトウハチローさんの詞を歌いつつお酒を飲みながら過去へのセンチメンタルジャーニーをする日となった。



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February 25.2021



『待ちぼうけ』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
ここでは、ぜひ兎の動きを連続で見ていただきたい。初めの♪まちぼうけ まちぼうけ…… で、兎はうっかり飛んで出てきたばかりに「ころりころげた木のねっこ」だった。ところが、2度目の♪まちぼうけ まちぼうけ…… では、兎はもう学習していて、ぶつかるのがわかっているから、ぶつかると見せかけて、余裕で寝転んでウインクしたり、いくら少女が♪うさぎぶつかれ木のねっこ と見ていても、ねっこの上にひょいと乗っかったり。歌詞から兎を賢い存在としてとらえ直し、絵にしたもの。音符のところどころに「荒野の箒草」のような枯葉がついている。



今回「待ちぼうけ」で思い出したシーンは駅の改札口。
鎌倉駅には、伝言板があった。それも黒板とチョークの。
約40年前、鎌倉の海のそばにアトリエがあった。雨漏りのするボロ屋。
来客が多くて軽自動車で送迎をしていた。

人を待つ間、黒板の他人の待ちぼうけのボヤきを読むのが好きだった。悪趣味だけど。
本物のきどったのや、怒ったのや、愛ある言葉や別れの言葉が
本人の署名入りだったのが、今となっては信じられない。
私は改札口を気にしながら、書きたくて、でも書くことがなくて恨めしかった。
そんな伝言板を読み、立ち去る人のことも覚えている。立ち去ることもしたかったなあ。


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TITLE:【Others】読売新聞 夕刊 「たしなみ」挿画

February 24.2021

2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。

2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。


©Yoko Yamamoto

読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2021年2月24日のテーマは「オンライン会議のマナー」星野博美さんです。

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February 18.2021



『叱られて』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
この曲を聞くと、どうしても、夜遅く、電柱の電球が灯った頃というイメージがある。叱られて、泣きながら薄暗い道を歩いている少女が思い浮かぶ。だから、♪しかられて しかられて(左)の音符は涙の形。8分音符と4分音符は黒い涙、2分音符はブルーの涙だ。下段の♪ゆうべさみしいむらはずれ(右)では、8分音符と4分音符を黒い星、2分音符を黄色い星にして、チカチカ星がまたたいているような感じにした。♪コンときつねがなきゃせぬか で出てきて、天を仰いで鳴いている狐は、ルーカスがモデル。この「コン」という言葉が、心にしみる。

     


押し入れからの脱出に慣れてきた。叱られても、恐くなくなったのだった。
そんな時、叱られた後「出て
いきなさい」と言われ、家から閉め出しをくらった。
扉も窓にも鍵がかけられていて、中にいれてくれと叫んでも返事がないのが恐かった。
誰もいなくなったようにシーンとした部屋をのぞいた。
今から考えると、不思議なことにカーテンに少し隙間があった。
外が暗くなってくると、電気がついて、祖母や母の姿が見える。
ガラス戸をトントンとたたいてもこちらを見てくれない。

そして、家族の夕食がはじまる。空腹と恐怖。家の中に入れないことより、忘れられたことが怖かった。
疎外感という孤独に震えた。またしても、妹が助けに来てくれたのだった。
あまりの恐さに何をして叱られたのか、忘れてしまっていたのだけれど。


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February 11.2021



『村祭』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
♪村の鎮守の神様の ♪年も豊年満作で とあるように、秋には豊年満作を祝い、鎮守の神様に感謝してお祭りが行われてきた。私が子どもの頃に住んでいた町でもお神輿(※左)が出て、神社の境内には夜店が並んだ。浴衣を着て出かけるのが待ちどおしかった。夜店では、ヨーヨーやセルロイドのお面は買ってもらえたが、祖母や母からどうしてもお許しが出なかったのがりんご飴。私に虫歯ができるのを恐れてのことだというが、同じ駄菓子(※右)なのに、なぜわた飴はよくて、りんご飴はいけなかったのか。今でも友だちが舐めて舌を真っ赤にしていたあのりんご大の飴のことは忘れられない。

     


今までについたあだ名はふたつ。”デメキン”と”ヨーヨー”。
デメキンは小学三年生の時、大阪から東京に転校した時についた。デメキンは金魚すくいの時にはじめて知った金魚だった。黒い色と尾やヒレをひらひらさせながら地べたに置かれた四角い水槽の中を泳ぐ姿が、ブキミにユーモラスだった。水槽の中は真っ赤なキンギョばかりだったので、黒いキンギョの目と口がつき出た容姿はブサイクでもあった。
当時の私は背の高いヒョロリとしたカラダに飛び出した目と、出歯気味の大きな口がついていた。転校生のブキミさを見てソク思いついた存在の違和感が言葉で表現されたわけだった。容姿だけではなく、大きな声で話す”大阪弁”がヘンナ感じだったのだろう。男の子たちが大きな声で”デメキン”と私のことを呼び、からかいながらも仲良くしようというメッセージに聞こえていた。
”ヨーヨー”は大学二年の時、版画の基礎を学び、自分のサインを考えていた。YokoをYo.と短くして Yo. Yamamto としたら、先輩達がYoは呼び名としても親しみがあって良いとほめてくれた。
私も気にいって現在まで使っているが、ある時英語の辞書に、”yo-yo”とは”どこにでもいる馬鹿者”という訳を見つけてとても嬉しくなったことを覚えている。馬鹿者はこれから賢者になるんだという声明のように思った。なんとなく。”ヨーヨー”は子供の時から大好きな色とりどりの風船の中に水の入ったオモチャであった事もなんだかうれしいあだ名である。
今でも時々ヨーヨーと呼ばれると幸せな気分になる。


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Posted by: lucas
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