マティスが強烈な印象を受け、転機を迎えたというモロッコを自分もいつかは訪ねてみたい。ニューヨークでのマティス回顧展以降、その思いをひそかに抱き続けていたところ、幸せなことに、1996年11月、世界遺産に登録されている都市を紹介するテレビ番組の仕事で、モロッコのフェズを訪れる機会に恵まれた。
マティスはマルセイユから船に乗り、地中海に面した港町タンジールに到着したが、そこから内陸へ入ったフェズは、北アフリカに古代から点在する都市ならではの城壁に囲まれた旧市街(メディナ)も世界一の広さを誇る古都だ。荷物を運ぶロバと人間が行き交うのが精一杯の迷路のように入り組んだ旧市街(メディナ)の小路を歩いていると、薄暗い路地裏に突然、強烈な陽光が射し込む。イスラム世界の幾何学文様で装飾された扉(*11)や細密な透かし彫りの窓の内部は、外から見ると白壁にぽっかり穴が開いたように黒々としているが、不意に文様の隙間から瞳がのぞく。至るところにさまざまなニュアンスの〈黒〉があふれているではないか。目に飛び込んでくる鮮やかな緑は礼拝所(モスク)や尖塔(ミナレット)、神学校(マドラサ)の屋根瓦の色だ。アーチ型の門や、床、吹き抜けの中庭の壁面は白、黒、青、緑、茶色といったモザイク・タイルが生み出すアラベスクや市松などの文様で覆われている。あるいは、無限に広がる化粧漆喰が灰色の壁や天井に陰影をもたらしている。文化遺産として一般公開されている神学校(マドラサ)の壁という壁には、聖典コーランの一節を綴ったと思われるアラビア語のカリグラフィーが漆黒に輝いていた。
モロッコには、マティスの色彩とモチーフの謎を解く鍵が至るところに溢れていた。なかでも〈黒〉だ。おそらくマティスは、含蓄のある黒をモロッコで発見したに違いない。そう思わずにはいられなかった。ニューヨークの回顧展でも見た「コリウールのフランス窓Porte-fenêtre à Collioure」(1914年、116.5×89cm)で、両開きの窓から開かれたガラスと思われるブルーグレーと青緑色、灰色の帯に挟まれて、ブラックホールのように広がる漆黒の空間、あるいは、「モロッコ人たちLes marocains」(1916年、181.3×279.4cm)の分割された空間の背景を蓋い尽くす墨のような黒。2点の黒が印象的な作品が脳裡に浮かぶ。
マティスに敬意を表し、『画家のノート』と、スケッチをすることもあろうかと色鉛筆を携えていた。本のカバーを外して壁の星型のモザイク・タイルに当て、オリーブ・グリーンとヴェネチアン・レッドの2色でフロッタージュをした。
*11
モロッコの旧市街(メディナ)で見かけた幾何学文様のある扉