LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


01

ルナ+ルナ

最も注目していた大作の2点の「ダンス」は、広い空間に隣り合わせに展示されていた。2.6m×3.9mもの大画面の作品が2点並ぶと、そのスケールにまずは圧倒される。5人の裸婦が輪になって丘の上で踊る構図もサイズもほとんど同じだが、色彩が異なる。MoMAの「ダンスⅠ」の女たちの肌はバラ色。それに対してエルミタージュの「ダンスⅡ」はオレンジ。丘の緑と空の青も「ダンスⅠ」より「ダンスⅡ」のほうが絵具が厚く塗り重ねられ、画面に強いコントラストが生まれている。裸婦たちの身体の動きも「ダンスⅡ」では太い描線によって激しさが増している。並べられるはずのない2点を見比べていると、色彩や線の太さのわずかな違いによって画面が大きく変化していることに気がつく。この2つが並んだ情景をいちばん見たかったのは、他ならぬマティス本人だったのではないのか。
 ロシア人コレクター、セルゲイ・シチューキンの邸の階段に飾る大型作品の注文を受け、油彩下絵(オイル・スケッチ)として描かれたのが「ダンスⅠ」で、それを見せてシチューキンの了承を得た後、あらためて制作されたのが「ダンスⅡ」だというが、下絵をわざわざ完成作と同じサイズで制作するのは不思議なことに感じられた。
 この回顧展の見どころは、「ダンス」に限らず、各地に散らばった同じモチーフの作品が集められ、並べて展示されていることだった。それによって、多くの美術家と同様、マティスもまたいくつかのモチーフを繰り返し描いたことが浮き彫りになっていた。「ダンス」の輪舞のモチーフは、晩年のマティスが、そこに至る自分の創作の出発点とみなした油彩画「生きる喜び Le bonheur de vivre」(1905‐06年、175×

241cm)(*7)の後景に小さく描かれたのが最初だ。それを「ダンスI」「ダンスⅡ」の大画面に描き、続いて「ダンスⅠ」を数点の静物画に画中画として描き込んでいる。さらに、1931年~33年には、アメリカ・ペンシルヴェニア州メリオンのアルバート・クームズ・バーンズからの依頼による大壁画「ダンス La danse」(縦最大355.9cm、
横合計1383.9cm)の制作へと続いてゆく(*8)。
 同じテーマを繰り返し描く行為は、マティスにとっては、どこにどの色彩をどのぐらいの分量で配するかバランスを見ながら塗り重ねてゆき、ある調和を感じる点に到達することが肝心で、色彩の対比がそれぞれの画面ごとに異なる以上は別の絵として存在しているところが興味深い。油彩画は上から絵具を塗り重ねてしまえば前段階はうかがい知れなくなるが、マティスにとって〈完成作〉は1つというわけではなく、さまざまに実験した過程や、その結果得られた調和のヴァリエーションを敢えて残すのが描くことの目的だったということだ。不意に彼が下絵を実物大で描いた秘密を知ったように思えた。つまり、マティスには下絵とか習作といった観念がなかったのではないだろうか。

 

Next>>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*7 「生きる喜び」はレオ・スタインLeo Stein(1872‐1947)が購入し、妹ガートルード・スタインGertrude Stein(1874‐1946)と暮らしたパリの家に多数の近代絵画とともに飾られたが、後にアルバート・C・バーンズAlbert Coombs Barnes(1872‐1951)に売り渡された。
 スタイン家は、長兄マイケル・スタインと妻サラも多くのマティス作品を蒐集。サラはマティスから絵画の指導も受けていた。
 その後、バーンズは60点ものマティス作品を所有することになり、メリオンの邸には、19世紀末から20世紀初頭の作品を中心に2500点もの美術品が展示されているが、長年ごく限られた形でのみ公開されてきた。1993年~95年、老朽化した邸の修復のため、コレクションの一部(絵画80点)が初めてワシントン、パリ、東京、フォートワース、トロント、フィラデルフィアの各都市の美術館を巡回した(『バーンズ・コレクション展』)。

*8 『マティス 画家のノート』には、マティスが非常にダンスが好きだったことが語られている。とくにプロヴァンス地方の陽気な輪舞〈ファランドール〉を好み、日曜午後にモンマルトルのダンスホール〈ムーラン・ド・ラ・ギャレット〉へ出かけては眺め、その節を口ずさんでいた。輪舞はお気に入りのモチーフだったのである。

 

 

page top

Copyright©2007 Office Lucas All Rights Reserved.