当日は泊まっていたホテルに程近いグランド・セントラル駅構内のオイスター・バーで昼食を済ませ、西53丁目のMoMAには入場時刻の30分前に到着した。小雨の降るなか、入口から2本の長蛇の列が伸びている。1本はこれから先の指定券を買おうとする人々、もう1本は指定された入場時刻を待つ人々だった。あまりに大勢の人が並んでいたため、美術館というよりは開演間近のコンサート会場のような熱気が渦巻いている。
ニューヨークに来た翌日、一度MoMAへ来てブックストアで買い求めておいた分厚いカタログによれば、このマティス回顧展の企画意図は、あらゆる時期の絵画を中心に彫刻、デッサン、版画、切り紙絵など約400点の作品を通して、マティスの業績の広がりや深さを明らかにすることだった。「マティスをまるごと見よう」というだけあって、過去に世界各地で開かれたどのマティスの回顧展よりもはるかに規模が大きい。企画者でカタログの著者でもあるMoMAの学芸員ジョン・エルダーフィールドJohn Elderfield(1943‐)の並々ならぬ力量と熱意がうかがえる。
MoMAが、最初にマティスの回顧展を開いたのは1931年のことだという(*4)。MoMA初のヨーロッパのアーティストの個展であり、60代に入ったマティスにとってもアメリカの美術館における初の回顧展だった。創立館長アルフレッド・H・バー・ジュニアAlfred Hamilton Barr, Jr.(1902‐81)は、その後、マティスが亡くなる3年前の1951年にも再び大規模な回顧展を企画している(*5)。MoMAは近代美術を代表するアーティストの1人としてマティスを高く評価してきたのだ。現在では、マティスの絵画、デッサン、彫刻、切り紙絵などを80点所蔵している。企画力に加えて、それだけのコレクションがあるからこそ、やはり多数を所蔵するフランスのポンピドゥー・センター・国立近代美術館やロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美術館(*6)、デンマークのコペンハーゲン国立美術館、ボルティモアなどアメリカ国内の美術館の側も、傑作の貸し出しに好意的になる面があるだろう。いつか反対にMoMAが貸し出してくれる可能性があるというわけだ。
さて、入場時刻となって人々の列がゆっくりと動き出し、それに従って会場へ入る。MoMAへ来てほぼ1時間後、ようやくマティスの絵の前に立つことができたのだった。作品は年代順に展示されていたが、作風や技法が変化し続けた作家とあって、会場は7つの時期に区分されていた。
0「Ⅰ 1890‐1905年 近代芸術の発見」は法律から美術に転向し、象徴主義のギュスターヴ・モローGustave Moreau(1826‐98)らのもとで個性を模索した時代。続いて「Ⅱ 1905‐07年 フォーヴィスム時代」。爆発させた色彩と輪郭線とのせめぎ合いを経て、2点の「ダンス」を制作、モロッコへ旅して新たな道を見出した「Ⅲ 1908‐13年 芸術と装飾」。「Ⅳ 1913‐17年 抽象と実験」では、肖像画を通じて実験を繰り返した。光あふれる室内を描き、舞台美術・衣裳も手がけた「Ⅴ 1917‐30年 初期ニース時代」、本の挿絵やデッサンに打ち込んだ「Ⅵ 1930‐43年 テーマとヴァリエーション」を経て、ヴァンスのロザリオ礼拝堂と切り紙絵の「Ⅶ 1943‐54年 晩年」へ。人波に押されることもなく、休憩を含めて4時間、じっくりとマティスを味わうことができた。
*4 MoMAは美術を愛する3人の女性、アビー・オルドリッチ・ロックフェラーとリリー・P・ブリス、メアリー・クイン・サリヴァンが、当時の前衛であった後期印象派の作品を紹介する美術館をつくろうと考え、作品と資金を集めて1929年に設立。早くから写真、建築・デザイン、映像の部門が設けられた。5番街のビル内の施設でスタートしたが、移転、増改築を経て、現在では近現代の作品15万点を所蔵する世界屈指の美術館である。
*5 その他の主なマティスの回顧展は、フィラデルフィア美術館(1948年)、パリ国立近代美術館(56年)、ロンドンのヘイワード・ギャラリー(68年)、パリのグラン・パレ(70年)で開催されている。
*6 ロシア革命後、エカテリーナ2世が蒐集を始めた美術品を収蔵したサンクトペテルブルクの宮殿がエルミタージュ美術館となり、モスクワのアレクサンドル3世芸術博物館がプーシキン美術館となったが、マティスなどフランスの近代絵画は、2人のコレクター、セルゲイ・シチューキンSergei Ivanovich Shchukin(1854‐1936)とイワン・モロゾフIvan Abramovich Morosov(1871‐1921)の所蔵品。それが国有化され、1948年に2つの美術館に分割して収蔵された。
また、マティスのモデル兼助手で愛人だったリディア・デレクトルスカヤLydia Nikolayevna Delektorskaya(1910‐98)は1967年以降、エルミタージュ美術館にデッサンを中心に彫刻と絵画を寄贈している。