LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

その色彩の洪水の中で、ティンゲリーの黒い機械たちが音を発しながら動いて水をかき回したり、細い管から思い思いの方向へ水を発射したり。大小さまざまな車輪をつけた機械に交じって、ト音記号を象ったもの、昆虫や動物のようなものも見える。ニキの色とりどりの彫刻も、ティンゲリーの仕掛けた機械で動いていたとはあとで知ることになった。
 彫刻は数えてみると全部で16基ある。16点の作品が池の中に展示されているということだ。しぶきの上がる辺り一面が太陽光を浴びてきらきらと輝き、色彩や音や動きとあいまって、そこに迫力に満ちた一つの舞台が出現していた。方向も強さも量も多様な水が踊っている。何と個性的な水の噴き上げ方があるものかと、彫刻を鑑賞すると同時に、さまざまな水のパフォーマンスに見入った。
 水の軌跡と色彩の氾濫を目で追っていると、池とその周辺をカンヴァスに見立て、アクション・ペインティングの作家ジャクソン・ポロックJackson Pollock(1912‐56)が絵具を撒いて飛び散らせている光景が浮かんできた(*6)。ただ見たものを再現するというのではなく、偶然生じる線や形、テクスチャーを表現したり、その過程における身体の動きまでも表現として取り込んだりと、美術が演劇とかぎりなく近づいていった時代を体験した2人の作品ならではといえるのではないだろうか。
 ティンゲリーはものが動いて音を立てることに少年時代から興味があったようだ。スイス北部のバーゼルで育った彼は、13、4歳のころから木や針金や釘などを使ってたくさんの水車をこしらえ、近郊の森の小川のさまざまな流れの中に置いては、水車の回る速度の違いを見比べ、カタカタ響く音に聞き入っていたという。その体験が彼のキネティックな作品に発展したと見てもあながち間違いではなさそうだ。近代まで不動のものとみなされていた彫刻を自ら動くようにしたところが彼のオリジナリティである。
 1950年代前半にパリへ出てきたティンゲリーは、55年、モンパルナスのロンサン袋小路にアトリエを構え、機械部品や金属の廃材を用いた作品を盛んにつくり始める(*7)。ニキと最初に出会ったのはそのころだ。もの自身が動くことの追求は、自動デッサン機「メタ・マティックMéta-Matic」のシリーズ(59年~)や自滅する機械彫刻「ニューヨーク讃歌Homage to New York」(60年)、たくさん手がけることになる機械仕掛けの噴水彫刻へと続いてゆく。

 

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*6 ポロックはカンヴァスを床に置き、絵具を〈ドリッピング〉することによって絵画の制作を行なった。そのきっかけとなったのは、従来のようにイーゼルに立てかけたカンヴァスではなく、巨大な壁面に向かうメキシコ壁画運動の作家たちとともに壁画を制作した体験だった。

*7 ロンサン袋小路はモンパルナス駅の北西に位置し、カフェの並ぶにぎやかな界隈からさほど遠くはないが、当時、表通りから一歩その袋小路へ入ると、アーティストが集まるアトリエ村が形成されていた。ティンゲリーのアトリエの向かい側には、晩年のブランクーシが住んでいた。中原佑介著『ブランクーシ』(1986年、美術出版社刊)によれば、60年秋、ロンサン袋小路を訪ねると、ティンゲリーの「アトリエの外には各種金属製品の廃品がうず高く積まれ」ていたという。
 なお、ブランクーシのアトリエは、中にあった作品や家具類も含め、遺言によってフランスに遺贈され、現在はポンピドゥー・センターの広場の一画に復元されている。

 

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