LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

チャウシェスク独裁政権下の冬のルーマニアをレンタカーで巡ったことがある。1985年12月下旬、モスクワ経由で空路、首都ブクレシュティ(ブカレスト)に入り、凍てつくような寒さの中、5日間で約800キロを走った。
 主な目的は、ルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシConstantin Brancusi(1876‐1957)のモニュメントが世界で唯一設置され、彼のイデーによって貫かれた街、トゥルグ・ジウを訪ねること。かつて箱根・彫刻の森美術館で見た「接吻Le Baiser」(1908年、石膏、高さ28cm)の、抱擁を交わすユーモラスな男女の素朴な彫像から湧き上がる愛おしさ、温かな感情がずっと心に残っており、同じ作者の「無限柱La Colonne sans fin」「接吻の門La Porte du Baiser」「沈黙の円卓La Table du silence」の3点からなるトゥルグ・ジウのアンサンブル(1937‐38年)は、その存在を知ったときから、是非とも見てみたいと思っていた。タイトルに含まれる〈柱〉〈門〉〈円卓〉といった言葉も、ブランクーシがその街で構想した何らかの物語を想像させ魅力的だった。それに加えて、体制の異なる国としてのルーマニアにも興味があり、初めての社会主義国への旅に出たのである。
 せっかくルーマニアを訪れたからには、トゥルグ・ジウ近郊のブランクーシの生家や、ブランクーシ作品のあるブクレシュティとクライオヴァの美術館も回りたい。また、ルーマニアといえば、トランシルヴァニア地方に残るドラキュラ伝説だ。ブラム・ストーカーが小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルにした、〈串刺し公(ツェペシュ)〉の異名をとるワラキア公ヴラド3世のシギショアラの生家や、ゆかりの城であるブラン城にも立ち寄ることにして、列車よりも融通の利くレンタカーでの移動となった。
 ブクレシュティを出発、南部ワラキア平原をピテシュティまでは高速道路、その後は一般道で西へ進み、ブランクーシの故郷オルテニア地方に入って、クライオヴァとトゥルグ・ジウで宿泊。その後、北上してトランシルヴァニア・アルプスを越え、シビウに泊まり、シギショアラを経てカルパティア山脈の麓のブラショフに至るルートを考えた(*1)。
 ブクレシュティの中心街、マゲル通りにある観光公社〈カルパツィ〉を介して〈ハーツ〉で借りた車は〈ダチア1300〉(*2)だった。当初は事故の可能性などまったく考えず、単純に免許を持っていてよかったと喜んでいたが、この5日間は現在に至るまでで最もスリリングな旅となった。25歳で運転免許を取ってから8年目にして初めてのマニュアル車で、左ハンドル、右側通行、しかも路面は凍結している。これは少し練習が必要だと、ブクレシュティから北へ30キロほどのスナゴフの町へ16世紀の修道院を訪ねることにした。〈串刺し公〉が建てたとされる修道院跡にできたものだ。ところが、車を借りてまもなく、左折時にバスと正面衝突しそうになった。日本にいるときの習慣で左車線に入ってしまったのだ。さすがに気を引き締めてかからねばと、翌日からの遠出を前に運転感覚をつかむことに集中したのだった。

 

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*1 旅のルート

Ⓐブクレシュティ、Ⓑトゥルグ・ジウ、Ⓒブラショフ

*2 〈ダチアDACIA〉は、古代のルーマニア地域の名称〈ダキアDACIA〉(ルーマニアでの発音はダチア)に由来する。ダチア社は現在ではフランスのルノー・グループ傘下だが、〈ダチア1300〉はルーマニアの国産車である。

ルーマニア国内を5日間旅した白の〈ダチア1300〉。ブクレシュティ近郊スナゴフにて

 

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