LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

なんとか近づくための糸口を探していて思いついたのが、シェイクスピアの生きた時代を身体で感じてみることだった。20世紀の日本から16、7世紀のイギリスへ飛ぶための方法として、現地へ行ってみるのも手だが、もう1つ浮かんだのが〈音楽〉を聞くことである。音楽にはその時代の人びとの生活のリズムやスピード、感情が自然に息づいているものだ。音楽を聞けば、時空を超えてシェイクスピアの詩とコラボレーションできるような気がしたのだった。
 数年前に知遇を得ていた英文学者の高橋康也氏にシェイクスピアと同時代の音楽について教えてほしいと手紙を書いたところ、当時の人びとに愛好された弦楽器、リュートの名手にして作曲家のジョン・ダウランドJohn Dowland(1563‐1626)をテーマの1つに据えた氏の講演の知らせが届いた(*3)。波多野睦美氏(歌)とつのだたかし氏(リュート)によるダウランドのリュート歌曲の演奏が組み合わされたレクチャー・コンサートである。1993年4月の一夕、ダウランドのメランコリーあふれる美しい旋律に身を委ねた。
 シェイクスピアとわずか1年違いで生まれたダウランドは、リュート独奏曲「涙のパヴァーヌLachrimae」や、それを編曲して詞をつけたリュート歌曲「流れよ、わが涙Flow my teares」をはじめ、数多くの佳曲を残している。しかし、その実力にもかかわらず、なぜか熱望するエリザベス1世(1533‐1603、在位1558‐1603)の宮廷付きリュート奏者にはなれず、失意のうちにヨーロッパ各地を転々とした経歴をもつ。涙や悲しみを奏でる感傷的な旋律や詞はわが身の不幸を重ね合わせたものともいえそうだが、愛の不安や別れの苦しみ、諦めなどは当時の流行の曲想だという(*4)。それはシェイクスピアのソネットにも通じる世界のように感じられた。
 次いで翌5月、イギリスへ旅立った。ロンドンに入り、その日のうちに中心街のタワーレコードでダウランドのCDを探した。すると、さまざまな国から出ている複数のダウランドのCDジャケットに同じ1枚の絵が使われている。件のヒリアードの「薔薇の茂みの若者」だった。あるCDの裏面のクレジットから、タイトル・作者名とともに、まさに滞在中のロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(V&A)に収蔵されていることがわかった。絵の技法もサイズも定かではないが、おそらくダウランドと何か関わりがあるのだろう。いや、シェイクスピアのソネットのなかで、詩人は恋しい青年貴族を「わがバラよ」と呼んでもいる(*5)。この絵はまさしくあの愛の詩が形になったようだ。もしかすると、青年貴族本人の肖像ではないのだろうか……?

 

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*3 この講演では、ダウランドとワーグナーが、SF作家フィリップ・K・ディックPhilip Kindred Dick(1928‐82)を介して語られた。ディックはいくつかの小説のなかでダウランドにふれているが、『流れよわが涙、と警官は言ったFlow My Tears, The Policeman Said』(1974年)では、事件を捜査するロサンゼルス警察のバックマン本部長が、抽象音楽の創始者として敬愛するダウランドの「涙のパヴァーヌ」「流れよ、わが涙」などを聴き、ワーグナーへの嫌悪を語る場面が出てくる。

*4 1ページ、*1のCDは、代表作「流れよ、わが涙」をもとにした7曲からなるヴィオール、リュートなどのための合奏曲集「ラクリメあるいは7つの涙Lachrimae or Seaven Teares」(1604年)が収録されたもの。エリザベス1世の後にイングランド国王となったジェームズ1世の妃アンに献呈された作品である。その後の1612年にダウランドはジェームズ1世付きのリュート奏者となった。「ダウランドはつねに悲嘆に暮れりSemper Dowland Semper Dolens」をモットーに掲げていた彼には〈涙〉をテーマにした曲が実に多い。

*5 「わがバラよ、あなたこそ私のすべて、あなたなしでは/この広大な宇宙も私には無と呼ぶしかありません。」(小田島雄志訳 第109番)

 

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