『村祭』1999年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
♪村の鎮守の神様の ♪年も豊年満作で とあるように、秋には豊年満作を祝い、鎮守の神様に感謝してお祭りが行われてきた。私が子どもの頃に住んでいた町でもお神輿(※左)が出て、神社の境内には夜店が並んだ。浴衣を着て出かけるのが待ちどおしかった。夜店では、ヨーヨーやセルロイドのお面は買ってもらえたが、祖母や母からどうしてもお許しが出なかったのがりんご飴。私に虫歯ができるのを恐れてのことだというが、同じ駄菓子(※右)なのに、なぜわた飴はよくて、りんご飴はいけなかったのか。今でも友だちが舐めて舌を真っ赤にしていたあのりんご大の飴のことは忘れられない。

     


今までについたあだ名はふたつ。”デメキン”と”ヨーヨー”。
デメキンは小学三年生の時、大阪から東京に転校した時についた。デメキンは金魚すくいの時にはじめて知った金魚だった。黒い色と尾やヒレをひらひらさせながら地べたに置かれた四角い水槽の中を泳ぐ姿が、ブキミにユーモラスだった。水槽の中は真っ赤なキンギョばかりだったので、黒いキンギョの目と口がつき出た容姿はブサイクでもあった。
当時の私は背の高いヒョロリとしたカラダに飛び出した目と、出歯気味の大きな口がついていた。転校生のブキミさを見てソク思いついた存在の違和感が言葉で表現されたわけだった。容姿だけではなく、大きな声で話す”大阪弁”がヘンナ感じだったのだろう。男の子たちが大きな声で”デメキン”と私のことを呼び、からかいながらも仲良くしようというメッセージに聞こえていた。
”ヨーヨー”は大学二年の時、版画の基礎を学び、自分のサインを考えていた。YokoをYo.と短くして Yo. Yamamto としたら、先輩達がYoは呼び名としても親しみがあって良いとほめてくれた。
私も気にいって現在まで使っているが、ある時英語の辞書に、”yo-yo”とは”どこにでもいる馬鹿者”という訳を見つけてとても嬉しくなったことを覚えている。馬鹿者はこれから賢者になるんだという声明のように思った。なんとなく。”ヨーヨー”は子供の時から大好きな色とりどりの風船の中に水の入ったオモチャであった事もなんだかうれしいあだ名である。
今でも時々ヨーヨーと呼ばれると幸せな気分になる。


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